ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

文章は三回推敲してから投稿しろ

台風で外出することができないみなさま、ブログ書いてますか?その記事、投稿前に推敲していますか?

筆者はTwitterですら三回セルフ推敲してから投稿するほどのチキンである。しかしたまに忘れるときもある。その場のノリでツイートしたものに誤字を見つけたときは、ほんとうにいたたまれない気持ちになる。しかしいいねがついていると消すに消せないのでそのままだ。Twitterは多少雑多なくらいが丁度いいのかもしれない。

さて、最近読みづらい文章を読まされてイラッとすることが多かったので、具体的に何が起爆ポイントだったのか整理してみることにした。

下手な文書というのは、

  • 文法が不適切
  • 結論が不明確
  • 単語の使い方がおかしい

などである。

下手な文章を読まなければならないときもある

前職では大半の同僚が英語話者であった。その反動なのかはわからないが、日本語は壊滅的な人が多かった(日本人も)。まともな日本語の文章を作れる人は片手ほどしかいなかったのではないだろうか。とにかく、経営者含め日本語の文章が下手なので、たとえば会社概要やslackで回ってくる連絡などの長文を読むのがほんとうにしんどかった。

英語が話せないという劣等感をお持ちの皆様。たとえ英語が話せたとしても日本人として日本語が壊滅的だと悲しいので、必要に迫られているわけでなければ劣等感を持つ必要はないと思うのです。前の二つの職場には日英バイリンガルの日本人がいたのですが、英語が使えると日本語力が低下するのか、まぁとにかく壊滅的な文章を生成する人たちでした。彼らにとって「英語が話せる」ことは「正しい日本語を使える」ことよりも重要らしい。

ちなみに筆者は英語が下手くそなので、英語の文章を読むのには苦労する。 前職での会議とか割としんどかった…。日本語の文章が意味不明なので英語の方も読んでみるものの、余計に分からなくなるという悪循環。もうすでに辞めた会社の話なのでどうでもいいのですが。

たとえばブログやネットの記事など、能動的に読む文章はうまい下手を気にしたことがない。読みづらいな、と思ったら閉じればいいのだから。しかし問題は、前述したとおり仕事などで読まざるを得ない場合や、「これ読め!」と押し付けてこられた場合である。

LINEで長文を送ってくる人は、個人的になかり厄介だ。「読みづらいから短くまとめて」と言うと、「読解力がないのが悪い!すこしは読む努力をしたらどうだ!」と逆ギレしてくる。キレたいのはこっちだというのに。

その文章、自分で読んでみたのか?

てめーのブログも日本語壊滅的じゃねーか

このブログでは敬体(文末が「です」「ます」)と、常体(文末が「だ」「である」)を混ぜて使っている。論文や小説やビジネス書類などでは、敬体と常体を混在させるのは正しくないとされている。

しかし、ブログではカジュアルさを出すためにあえて混在させている。主な使い分け方としては、持論や事実を述べるときは常体。読者に何かを訴えたいときは敬体にしている。本当だよ。

文語体と口語体も混ぜて使っている。これも、本来は文章として正しくないのだが、ブログはあえて堅苦しく思われないように混ぜて使っている。マジで。

日本語の下手さを自覚しないまま逆ギレする人たち

冒頭で書いた、「下手な文章によってイライラした場面」を振り返ると、文章が下手なこと自体はそこまで問題ではないように思える。問題なのは「下手くそな日本語を使うことで論点を明確にしないまま話をすすめ、こちらが理解できないと言うとバカにしてくる」ところなのである。

これは仕事でもプライベートでもあったことなのだが、とにかく文章が下手な人は自分の文章を推敲しない。なぜかやりきったような顔で「できたぞさあ読め」とつき出してくる。そして「日本語おかしくない?」と指摘すると「そんなこと言うなんてひどい」とか「理解力のない相手に問題がある」とキレてくる。意味不明すぎてこわい。

そういう人に限って、なぜか話術も得意だと勘違いしている節がある。結論が不明確な話し方をするので相手が混乱して会話を諦めている、という状況を彼らは「論破した」と勘違いし、ますます自分の会話力は優れていると勘違いする。思い出したらイライラしてきた。

謙虚でなくてもいい。推敲してくれ

全ての人間に謙虚さを求めるわけではないし、時には勢いとノリで書いた文章を投稿することも必要だ。コンテンツの新鮮味を保つという意味で。Twitterなんかはとくにそれが際立つだろう。

しかしビジネスの場などで誰かに読んでもらう文章を書く場合、頼むから推敲してほしい。職場だったら同僚や上司が推敲してくれるかもしれない。でもその前に自分で読んでみてほしい。ほんとうにその文章には結論やテーマがはっきりしているだろうか?あなたのことを何も知らない第三者が読んでも理解できるだろうか?

これは文章だけではなく、会話でも言えることだろう。結論がないまま考えていることをそのままダラダラと話されても、聞いているほうは理解できない。会話も文章も短く、明確に。

筆者は話すのが下手なので、自戒の念も込めて書いてみた。
また面接に行く機会も増えるだろうし、自分の考えは簡潔にアウトプットしていくよう心がけたい。

入門 考える技術・書く技術――日本人のロジカルシンキング実践法

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