ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

ゴジラS.Pを最終回までみたけどやっぱりつまらなかった人の意見

ハードSF大好きマンの視点で、ネタバレ大いにありでお送りします。ネタバレするって言ったからな!!!!











最終話配信直前まで友人と雑談しながら一気に流し見してて、最終回はネトフリで同時視聴しました。

前回の記事でも書いたとおり、怪獣映画は素人の筆者と、平成初期から怪獣映画を愛してやまない友人(SFに関しては素人)との同時視聴でした。ちなみに筆者は一話で挫折しかけて、「あ、これ自分だめなやつ」と思ってました。なんていうか、小難しい設定を(これ自体は嫌いじゃない)早口で畳み掛ける演出が生理的に受け付けない。

この手法でがっかりしたSF作家脚本の映像作品で、しばしば筆者は絶望してきた。サイコパス然り、正解するカド然り。あとなんだっけ…思い出せないけど、映像化したSF作品の脚本を務めた作家はもれなく嫌いになる程度には苦手な演出なのである。だから一話から嫌な予感はしていた。「これは…色々小難しい設定を出して視聴者を欺いた上に何も解決せずに全ては元の日常に戻って終わるパターンだ」と。予想はほぼほぼ一致し、なんら感動することなく、友人とともにもやもやを抱えたまま視聴を終えてこの記事を書いている。

Q.じゃあなんで見たんだよ!!!

A.友達が面白そうって言ってたからだよ!!!!!

要は話題作りです。 正直言って、OPはかっこいいと思っているし、毎話のシナリオ構成も悪くない。ていうかとても良くできている。時空のねじれがなんとかとか、未来がどうのとか過去がなんとかとかいう話は好き。アニメとしての出来はとても良いと思う。

その上であえて書かせていただこう。

いまそれやる? ハードSF愛好家(自称)としては使い古された手法だし、結局現代技術で時間を操ることなんてできないんだから、ハードSFやるならもっと現実的な方が良いと思う。あ、ちなみにグレッグ・イーガンが大好きです(隙自語)

まぁ、怪獣出してる時点でハードSFとはかけ離れているのですが。だから相性が悪い。相性が悪い分野に、円城塔氏はあえて挑戦したかったのか、それとも大人の都合なのかはわからないが、ゴジラS.Pに関しては全てが中途半端だと感じた。

方や怪獣映画のコアなオタク。かたやめんどくさいSFオタク。この二人が同時視聴したらどうなるかは火を見るより明らかである。

友人氏「ここまで過去作オマージュしてこの演出はガバすぎる。過去作を適当に継ぎ接ぎしたようにしか見えない。そもそもSFをやるのに題材がゴジラである必要が全く感じられない」

筆者「ハードSFと呼ぶには使い古されすぎているネタである。ていうか未来のことを書いていて時間をさかのぼったり未来にデータを送ったりしているのに最終的になにも解決せず日常に戻っているのが解せない」

幸いなことに両者の意見はだいたい一致した。 普段SF作品に馴染みのない友人氏に、日本SFの映像作品がいかに微妙であるかを説明するにはいい機会であったことは確かである。

小難しい設定、自我を持つAI(?)、かっこいいゴジラ。そう、ゴジラは間違いなくかっこよいデザインでした。開発者を守るために自分を犠牲にするロボット、最初からすべて仕組まれていたことを最後に知るという熱い展開。

全部、嫌いじゃないです。むしろ好物です。

その上で書かせてもらう。やっぱりゴジラS.Pはつまらなかった。なんだろう。悪い意味で全てが予想どおりで、想定外の展開というのがほぼなかった。「あーこれね、○○で見た」。オタクの悪いクセである。

引き合いに出すのは大変申し訳無いのだが、同じくリアタイ視聴していたケムリクサは大変おもしろかった。わからない世界の謎を解くという大筋は同じはずなのに……やっぱり脚本の問題なのかもしれない。設定は良いのにそれを活かしきれていない感じが伝わってくる。

筆者は日本SFの限界を、ゴジラS.Pを通して実感してしまったのである。非常につらい。SF大好きなだけにつらい。

科学が進歩しすぎた結果なのか、最近のSF作品は(国産アニメ映画に関わらず)ネタ切れ感が強い。もうね、光速を超えるとか時間を遡るとか無理だから無理に設定しないほうが良いと思うの。個人的な意見です。

いくら技術が進歩したとはいえ、人間の生活圏は地球を出ていない。SFの可能性はまだまだある。そういう作品を見たいなと思いつつ、だれも作ってくれないので自給自足するしかないのだが、それは別のアカウントで行っているのでそちらに書くことにして、今日のところはこれで締めようと思う。

こんな、深夜のテンションで書きなぐった文章を最後までお読みいただきありがとうございました。

ゴジラS.Pを観るのがつらい

観なきゃいいじゃんと言われればそれまでなのだが。

まず前提を共有しよう。 元々怪獣モノに興味はなかった。したがってゴジラS.Pも全くノーマークだったのだが、アマプラ、U-NEXT、ネトフリが使えるようになってから、同じ環境の友人と映画をシェアする機会が増えた。

それによって必然的に共通の話題に映画が出てくることになる。 それまで観たことがなかったシン・ゴジラを観たのも、アマプラのウォッチパーティーで観よう、という話になったのがきっかけだった。ボイチャしながらツッコミ入れながらでもないと日本映画を観るのはつらい。

ネタバレや無粋なツッコミOKという低い障壁によって、観ることができるようになった映画のジャンルは大きく広がった。平成ガメラも観たし、ハリウッド版ゴジラも観た。KOMはとくに面白かった。渡辺謙ゴジラを「ゴジラ」って発音するのがすごく好き(伝われ)。

ちなみに、世の中にはネタバレをなんとしてでも回避したい人と、ネタバレを全く気にしない人がいるらしい。わたしは後者である。なんならネタバレを読んでから視聴するかどうか決めるまである。一部の人には理解されないが。

そしてシン・ゴジラは個人的にはなんか物足りなかった。KOMが面白かったことを鑑みると、わたしは「怪獣プロレス」と呼ばれるジャンルが好きであることがわかる。怪獣同士が戦ってるのを人類が巻き込まれつつ眺める、みたいなタイプの映画だ。対してシン・ゴジラは人類VSゴジラだったので、悪くないけどなんか地味だなーと思いながら観ていたタイプの人間である。 ちなみに同じく怪獣プロレスに分類されるパシフィック・リムは大好きである。我々が怪獣映画にもとめていたものはこれだったんだ……。

上記の前提を踏まえて、友人からネトフリでゴジラS.Pが配信されていることを聞いていた。当初は全然観る予定もなかったのだが、友人氏のプレゼンを聞いてたら気になったので観てみた。

……SFだった。 しかも苦手なタイプのSFアニメだった。脚本を観たら有名なSF作家だった。ああ…一話の時点でつらいです。ちなみにアニメでいうとサイコパスとか正解するカドとか苦手です。で、ゴジラS.Pの序盤からそれらに似た空気を感じているのである。つらい。

この記事を執筆している現時点、ネトフリで11話まで配信されている。一応全部観ました。OPはめちゃめちゃかっこいいと思います。

何がつらいって、ハードSFなんですよ。個人的にはハードSF大好きです。小説ならね。しかしアニメでやるとなると話は別。 なんだろう。SFオタクと怪獣好きは別物なんですよ。そこでゴジラという一般受け(?)する題材を元にガチガチのハードSFをやろうとすることに、なんか生理的に受け付けない気持ちのわるさみたいなものを感じるのである。これがうまく言語化できずに未だにもやもやしながら文字を打っている。

航空機に例えるなら前進翼カナードのついた機体みたいな(余計分かりづらいわ)。

ゴジラ大好きな友人は「今までのゴジラ作品になかったタイプ」と喜んでみていたのだが、週を重ねるごとにテンションが下がっているのを観てなんだか申し訳ない気持ちになった。自分が何かしたわけではないのだが。 で、そんななら一回観てみるかと思って視聴した結果がこれである。つらい。

しかも何がつらいかきちんと言語化できない。 いや、なんとなく分かっている。ハードSFは、誰がなんと言おうと一般受けはしないのだ。それは一部のコアなSFマニアのためのものだ。アニメ化しようと映像化しようと、小説という媒体で読むことに最適された文化はそうそう一般ウケしない。 それが、ゴジラという共通言語を得て一般に向けて配信されていて、ハードSFオタクがここぞとばかりに考察に勤しみ、一般人(?)を置いてきぼりにしていることに対してもやもやを感じている気がしている。

個人的には、怪獣映画に求めているのは怪獣プロレスなのである。人類VSゴジラではない。それだけならまだしも時空がどうのとか未来がどうのとかの話になってくるともう共有できなくなってくる。 ちなみに、超次元がなんとかとか時空がどうのとか特異点がなんとかみたいな話は大好物である。

でも、ゴジラにつられた一般人(?)がいきなりそういう領域に連れて行かれて撃沈しているのを見ているとなんだか申し訳ない気持ちになるのだ。なにもしてないのに。

おもしろいとかつまらないとかいうシンプルな問題ではない気がする。SFと一般受けの問題。これはいずれなんとかなるような問題ではなく、単に住んでいる場所、見ているものが違う人種なのでどうしようもないのだと思っている。

勝手に一般受けするSFを書きたいなと思っているのだが、「一般ウケするSF」っていわゆるスターウォーズとかスター・トレックみたいにハードではない。ライトSFなのである。スターウォーズファンにグレッグ・イーガンを読んでもらっても面白いとは思えないだろう(何度も言うが、個人的にはどっちも好きである)。

ああ、身近にそういう例がいるから不安になっているのかもしれない。身近に、ゴジラに釣られてゴジラS.Pを観てしまったゴジラファンがいなければこういう複雑な心境にはならなかったはずだ。

最後に、この文章は誰かに向けたものではなく、単に指の運動のために書いたものであることを明記して、今回は終わりにしたいと思います。それでは、またいつか。

社会復帰したけど生きづらい

3月から入社した会社には、コートをかけるクローゼットがある。椅子の背もたれにかけて邪魔だなぁと思う煩わしさから解放された。…しかしそのクローゼットは、なぜか男女で分かれている。

トイレとか更衣室を性別で分ける意味はわかるのだが、クローゼットはわからない。色々なパターンを考えてみたのだが、自分の頭からはどんな理由も湧き出てこなかった。

わたしは自分を客観的に見れる人間であるので、頭をかしげつつも女性用クローゼットにあまり女性らしくはない春用コートを掛けている。

弊社は働き方改革に力を入れている、というアピールをしており、残業をしないようにしたりリモート勤務を推奨したりなど、社員が働きやすい環境を整えている。しかし、それはあくまでマジョリティにとって働きやすい環境であり、マイノリティにとっては居心地の良くないものであることを、入社してから知った。

今までに何度か転職活動をして学習したことは、面接時に性別に触れられたらどんなに良さそうな会社でも辞退するということだ。そのめんどくさいフィルターを通して今の会社に入ったわけだが、やはり面接だけですべてを理解することはできない。

何が言いたいかというと、「エンジニア女子」なるチャットルームに入れられたのだ。いや、入れられたという言い方は適切ではない。一応、「よかったら参加してください」的なお伺いがあった。が、断るには色々とめんどくさく、入ったら入ったで入手できる情報量が多いだろうという算段で参加してみた。そのチャットルームでは挨拶以降、発言したことはない。

そのチャットルームに入って分かったことは、女子会があるということだ。そんなの面接で聞いてない。聞いてたら内定辞退していた。面接で聞かなかったのは、面接官であったマネージャーがその女子会の存在を知らなかったからであり、故にマネージャーに責任はないのだがなんか「めんどくさいところに来てしまった」感は否めない。

まぁ、自分にも責任はある。
仮に男か女かわからない見た目をしていたら周りはなんとなく察して気を使ってくれたかもしれない。が、入社2週間目の自分はまだ素を出せるほど職場に慣れていない。なめられないように毎朝30分かけて顔と髪を整えて気合を入れて出社している。だから、Xであることを言い出せない。

めんどくさい。男性エンジニアからなめられるのも、女性エンジニアから同士として見られるのもめんどくさい。

弊社の社員は「普通」な人が多い。スーツを着たおじさん、カジュアルな格好のエンジニア、オフィスカジュアルの女性たち。一度、パンクな格好のおねえさんに遭遇したので少なくとも一人は尖った人がいるらしいが、部署がちがうので接点はない。

とにかく、今まで男性エンジニアしかいないなかで気負わずにやってきたのだが、今度の会社には女性エンジニアがいる。これは、男性しかいない職場にくらべて非常にめんどくささが大きくなる。

ああ、めんどくさい。語彙力がないのでめんどくさい以外に言いようがないのだが、とにかくめんどくさい。

とはいえ生活のためには働く必要があるし、エンジニアの仕事は嫌いではないのでめんどくさいことはなるべく避けつつ、仕事に専念しようと思います。