ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

とある梶浦ファンのひとりごと

Kalafinaが解散して1年以上経つ。分散したメンバーもそれぞれソロ活動を始めたので、それについて改めて書いてみようかと思った。

Twitterを見ていて、Hikaruさんが「H-el-ical//」として正式な活動を発表したこと。そしてWakanaさんが二枚目のアルバムを出したことを知った。それについて歌姫個人のファンの感想を見ていて、Kalafina誕生以前から追いかけていた一人としても色々思うところがあるのでなんとなく書きたくなった。

そもそも私は熱心な梶浦氏のファンである。最初に彼女の曲を知ったのはガンダムSEEDゼノサーガEP2のどちらかである。多分両方だと思う。See-Sawの曲が好きだったのと、ゲームのインスト音楽のかっこよさで一気にファンになった。Kalafinaは梶浦さんプロデュースのユニットの一つという認識だった。「空の境界」は原作を読んでいたのもあってデビュー当時からKalafinaは応援していた。当時は金のない地方の学生だったのでライブに行くことはなかったが、アルバムとDVDは買っていた。

東京に住むようになってから、知り合いがKalafinaのチケットを取ってくれた。その時初めて「ライブ」というものに参加した。アニソンライブのノリにはついていけないと思っていたが、Kalafinaのライブはサイリウム禁止で、そもそも座って聞く静かな曲も多いのでライブ入門としてそれほど抵抗はなかった。DVDで予習していたし。FictionJunctionのライブは年に1回あるかないかだったが、Kalafinaはツアーも度々やっていてチケットが取りやすいこともあり、いつしか自分でもチケットを取って友人を誘い、参加するようになっていた。

そんな中での解散。いつかの記事でもかいたが、形あるものはいつか無くなるものである。諸行無常

私の興味は、解散後の歌姫たち個人ではなく梶浦さん一択だった。もちろん、今までFictionJunctionライブに参加していたメンバーが変わってしまうのは物足りなさを感じたが、元から好きな曲も多いので正直「梶浦さんの曲なら誰が歌ってもいい」と思っている。梶浦氏は様々なアーティストに曲を提供していて、その中で「好き/苦手」はあるものの、いくらメンバーが入れ替わっても今後も梶浦ファンであることに変わりはないだろう。その中で「Yuki Kajiura LIVE TOUR vol.#15」でKeikoさんが復帰してくれたのはとてもうれしかった。

H-el-ical//の曲も聞いたし、Wakanaさんのソロ曲も聞いた。ふたりともいい歌手だし、曲も悪くない。でも、ライブに行ったりグッズを買ったりするほどではない。H-el-ical//はYoutubeに曲をアップしているし、Wakanaさんの曲はSpotifyで聞けるので充分かなと思っている。梶浦さんの提供する曲以外を歌う彼女たちに個別で課金するほどの熱量と財布の中身は、今の自分にはない。

そんなわけでKalafinaファンで初期から追っかけてはいたものの、自分が好きだったのは「梶浦さんが作った曲を歌うKalafina」であり、彼女たち個人のファンではなかったのだなと改めて思った。中には歌姫たちそれぞれのファンもいるし、ソロ活動も応援している人もいるというのは、他人事ながらうれしい。ただ自分にはその熱量がなかっただけだ。

でも、武道館ライブでWakana様が微笑みながら見下ろしてくれたことや、二階席でも目を合わせてくれたKeikoちゃんや、全員に語りかけてくれるHikaruさんのことを忘れることはないだろう。自分にできるのは曲の再生数を増やすくらいで、ファンとはとても言えないが、元ファンの一匹として今後もそれとなく活動は追いかけていくことだろう。

See-Sawのライブ楽しみすぎて夜しか眠れない)

積ん読解消のためにリストを晒す

先日、また一冊Kindle本を購入した。その本はすぐに読み終わったものの、私のKindleアプリ内やベッドの脇にはまだ読み終えていない本が積まれている。そのほとんどが「いつか読む」リストに入れたまま、なんかめんどくさくなって放置、もしくは忘れているものである。

ということで、読書のモチベーションを上げるために読んでない本を書き連ねていこうと思う。

物語論 基礎と応用

物語論 基礎と応用 (講談社選書メチエ)

物語論 基礎と応用 (講談社選書メチエ)

今年のはじめ頃に悪い意味で話題になった某アニメ。なぜその作品がダメだったのか。優れた映像作品とは何なのか。それを解説する動画が多くアップされていた。この本はその数多の動画のなかで触れられていたものの一つである。「物語を書いている身としては、一応知識として知っておいたほうがいいのでは」と思って購入したのだが、情報量が多くて疲れてしまって積んでいる。本作は有名な古典作品を例として、物語の構造について説明しているのだが、その元ネタである古典作品自体を知らないことが多く、元ネタを調べていったら「あっちも読みたい…」となり収集がつかなくなってしまったのだ。というわけでこの本自体が「ほしい本リスト」なのである。これはもっと時間とお金と本棚に余裕があるときでないと読むことができないのではないだろうか…。

ニューロマンサー

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)

SF好きを自称しているくせに読んだことがないのはまずいと思い、購入したもの。造語が多い、独特の語り口(翻訳)、など読破するのが大変だと思った本の一つ。3分の1ほど読んで一旦放置し、内容を忘れたのでまた最初から読み直している。やはり難解な作品だと思う。

神曲(地獄篇)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

これも今年の某アニメの影響(正確にはそのアニメの解説ネタ動画)を見て「あー昔神曲読もうとして挫折したなー」と思い出したのでKindleで購入した。昔読んだ古い訳のものとは違い読みやすかったのだが、途中で飽きて放置中。いつか読む。

The Hunt for Read October

The Hunt for Red October (Jack Ryan Universe Book 1) (English Edition)

The Hunt for Red October (Jack Ryan Universe Book 1) (English Edition)

アマプラで「ジャック・ライアン」シリーズを見た影響で「原作も読もう!」と意気込んで買ったもの。専門用語の多さに疲れて放置中。まだ本題にも入ってない。

The Three-Body Problem

The Three-Body Problem

The Three-Body Problem

日本語版も発売されて話題になっていた「三体」。英語版が結構前に出ていたので買っておいたのだ!中国語は読めないから!しかし読み終える前に日本語版が発売されてしまった。改めて日本語版を買うのも悔しいし、今から苦労して英語の小説を読むのかと考えると気が重い…。しかし、いつかきっと読み終える日が来るだろう。

以下は物理本。

悲しき熱帯

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

Kindle版がなかったので物理で買った。構造主義について多少は知っておいたほうがいいだろう、と思ったものの、ほぼ手つかず。きっかけは「バイオハザード ヴェンデッタ」で引用されていた(映画の方は覚えていないのだが、小説版では作中のキャラクターが構造主義について語る場面がある)ので興味を持ったのだが、後に他の趣味に時間を割いてしまいあまり進んでいない。教養として読んでおきたいとは思っているのだが…。

5分間SF

5分間SF (ハヤカワ文庫JA)

5分間SF (ハヤカワ文庫JA)

「飲み会の待ち合わせ中、時間つぶしに立ち寄った本屋でたまたま目に入ったから買った」というテキトウな本。SFというにはちょっと物足りない作品だったので、最初の2,3話を読んで放置している。

十二国記(白銀の墟 玄の月1〜4巻)

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

うおおおおお!あれだけ続編を待ちに待った十二国記を積んでいるのである!なぜかというと先月発売されたゲームをするので忙しいからである!とりあえず発売日に購入したものの、読むのが勿体ないと言い訳をしながらベッド脇に積んでいる。早く読みたい。しかしオンラインゲームは発売から数ヶ月経つと人が減るので今しか楽しめない。本は一人で読めるのでいつでも楽しめる。そんな言い訳を重ねながら、まだその時ではないと言い張っている。

以上、全部で11冊?でした。
実はまだある気がするのだが、ひとまずこれを消化することを目下の目標としようと思う。どこから手を付けるかが問題だが、最近の自分の読書事情から考えるに、Kindleのほうが読みやすいのでKindle版から崩していくだろう。問題は洋書で、英語読めるし〜とは言い張っているものの小説となると結構ハードルが高い。圧倒的語彙力不足故に頻繁に辞書を引かなければならない。幸いなことにKindleだと簡単に翻訳してくれるのでまだいいのだが、読むペースは遅いので積んでしまう。

せっかく時間はあるのだし、今のうちに読書を、と思うのだが積ん読はやはり積んでしまう。そして、一つ積ん読を消すとまた「欲しい物リスト」から本が増えるのである。先は長い。

スタートアップに転職して失敗し、意識高い人間を演じるのがつかれた

一年前の今頃、自分は転職活動に励んでいた。なぜなら当時在籍していた会社が経営不振でどうにもならない状態だったからである。一刻も早く、そこから脱出する必要があった。

初めての転職を経験した自分は浮かれており、仕事用のSNSアカウントを作ってそこで見知らぬ同業者たちと交流していた。年下でもフリーランスで稼いでいる人、長年エンジニアを経験している職人的な人、イケてるスタートアップでバリバリ働いている人がSNSには大勢いる。そういう人たちと接していると、いつの間にか自分もそうなれる、なりたいのではないかと思いこんでいたのかもしれない。

とにかく、そうやってSNS経由で意識高そうなスタートアップに入った。当時は「N○○退職してG○○gleに転職しました」みたいな記事が流行っていて「日本の大手より海外のスタートアップが優れている」みたいな風潮だったと記憶している。一刻も早く転職したかった自分もなんとなくそれに流されて、大企業よりもスタートアップでエンジニア経験をバリバリ積むんだ!みたいな思想だった気がする。

しかしGoogleのような大手はともかく、小さなスタートアップは本当にリスクの塊だった。まずエンジニアが少ないので社内の風当たりが強い。ちょっとでもスケジュールより遅れると「あの人は仕事できない」みたいに言われる。同僚との相性が良くなかったのもあるかもしれない。それから、業種もあるのかもしれないがとにかく「陽キャ」が多かった。自分のような根が陰キャ陽キャの中に入るのにはかなりエネルギーを使わなくてはならない。社内でもなんとなく陰キャっぷりは露呈していたらしく、もっと喋って欲しいとかコミュニケーションとってほしいとか色々と言われた。まぁそれは、最低限の人数で運営しているスタートアップなら仕方のないことかもしれないが、自分と同じような境遇の人間がいなかったのはちょっときつかったかもしれない。

自分はここ2年ほどモーニングページを書いているのだが、前職に入社してからほぼ毎日「しんどい」と書いてあった。そうやって今になって振り返ってみると、やはりスタートアップは自分には合わなかったのかもしれない。

当時はとにかく意識高い系人間を演じていた。SNSで大量にフォロワーを集めたし、知らない人と積極的に交流し、リアルで会うなどという、それまでの自分からは考えられない行動力を発揮していた。それはすべて「当時の会社から一刻も早く逃げ出したい」というネガティブな感情から生成されたモチベーションだったのだと、今になって思う。が、当時はそれがよりよい環境へ行くための唯一の道だと思っていた。

半年後にそのスタートアップは訳あって辞めることになり、もう意識高い人間を演じることは出来ないと思った。一時期はエンジニアという仕事をやめようかと思っていたし、当時たくさんのフォロワーを集めたアカウントも消そうかと思っていたが、転職エージェントとの面談時に「その経験を活かさないのは勿体ない」と言われ、思いとどまった。

そうしてエージェント経由で色々な求人を見ているうちに、「実はそんなに意識高くなくてもエンジニアとしての仕事はできるのではないか」と思うようになった。別に外資系のスタートアップでなくてもいい。日本の企業で地道にキャリアを積んでいけばいいのだ。SESでの経験のほうが長い自分にとって、もしかしたらそのほうが向いているのかもしれない。

それは転職エージェントにも言われた言葉で、なるほどそうかと思ったものだ。まぁ転職エージェントも大手企業のバリバリイケてるサラリーマンなわけであって、中小ばかりを渡り歩いてきた人間に共感できるとも思えないのだが、だからこそ第三者的意見がありがたかったりするのだ。友人や家族に仕事のことを相談しても、実際のところ具体的なアドバイスはもらえない。そこは、やはり彼らもプロなのだ。

そんなわけで今は転職サイトに求人が載っている、安定していそうな企業を中心に応募している。まだ結果が出ていないし、もしかしたら書類で全滅かもしれない。その場合はまたTwitterで仕事を探すのもありかもしれない。前回の転職活動で人脈は充分にできたし、直接スカウトももらっている。でももうちょっとだけ、大手で自分の専門業務だけに集中したいという夢を捨てきれないでいる。なんなら大手企業の社員というのを一回経験してみたいと思っている。それが正解なのかは分からないが、やってみないことには何もわからないのだ。