ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

社会は善意によって成り立っている

普段時事ネタは書かない主義だが、仕事に関連するのもあって書いてみようと思う。

セブンイレブンのコーヒーで逮捕者が出た件について、いろんな人の意見を見ていたのだが、「買った飲み物以外は選択できないシステムにするべきだった」という人が結構いる。

私も何度かコンビニコーヒーを買ったことがある。「間違ってアイスコーヒーのボタン押したらどうしよう」とかドキドキしながら買ってる。なので購入したもの以外選択できないようにする仕組みを作るのには賛成である。

…賛成ではあるのだが、今回はたまたま全国展開しているチェーン店だから話題になっていたのであって、私の知る限り、世の中には人の善意を前提として作られているシステムがたくさんある。だからセブンのコーヒーだけに文句をつけるのはなんかモヤっとするのである。

例えば今の職場には社食があるのだが、後払い制なので食い逃げしようと思えばできる仕組みなのである。もちろん、スタッフが見ているし、そんなことをする人はいないと思うのだが、やろうと思えば可能である。

その社食のシステムを考案した人は、完全に人間を信用しているか、それとも完璧なセキュリティのシステムを作るよりは運用でカバーしたほうが安いし簡単だと考えていたのだと思う。

セブンのコーヒーも、もし最初からカップのサイズと種類を機械が判断する仕様だったらもっと開発費が上がって100円では買えなかったかもしれないし、導入が遅かったかもしれない。

あとコンビニのセルフレジ。 便利でほぼ毎日使っているのだが、ジュース一本だけ買ってSuicaで決済して店をでるとき、スマホと缶ジュースだけ持って出てくるのは万引きに間違われないかとドキドキするのである。まぁそんなことは一度もないのだが。

私はシステムを作る側でもあるし、人間を信用していないタイプなので、そういう善意を前提としたシステムを見ると不安になる。自分が設計する立場だったらもっと確実に支払いが完了する仕組みにすると思う。

…なのだが、とはいってもある程度善意によって成り立つ仕組みというのはあってもいいのかもしれないと思う。逆に、完璧にセキュリティ管理されるのも、それはそれで息苦しいものなのである。

例えば、私は新卒で入社した会社で銀行系のシステムを作っていたときがあるのだが、セキュリティが強固すぎて非常に疲れた。カバンは持ち込み禁止。インターネットは社内ネットワークしか接続できない。電車遅延の場合ですら一分業務開始時間に遅れると上司から文句を言われる。
これ以上書くとただの前々職の文句にしかならないので控えるが、とにかく全く人を信用しないシステムというのも疲れるのである。

何が言いたいかと言うと「どんなシステムでも不正するやつはするし、しない人はしない」のである。

だからこそ人の目が必要だったりするのだが、人間同士が互いに監視するようなディストピア社会にはなってほしくないし、できることなら善意に基づいたシステムが世の中で半分くらい可動しててもいいのではないかと思ったりしている。「善意によって成り立つシステム」が問題なく稼動する民度の高さこそ、文明的な社会の証になるのではないだろうか。