メンタル不調になってからできなくなったこと
数年前、編み物にハマっていた頃に一生もののつもりでレースのショールを作った。イギリス製の毛糸で、それなりに良いお値段だったし、編むのも楽しかったし、出来上がりも満足の行くものだった。
……のだが、一昨年くらいに久しぶりに使おうと取り出したら、どこかに引っ掛けたのか虫に喰われたのか、ところどころ穴が空いていてとてもテンションが下がって捨ててしまった。頑張れば修理できないでもない気がしたが、そのときはもう見るのも嫌になっていたのだ。いつかまた編めばいいと思ったが、あれから編み物をする気分でもなく、市販のストールを買って季節の変わり目を凌いでいる。
良い衣類というものは動物の毛でできているので虫に喰われやすい。洗濯も手洗いしなくてはならないなど、ちょっと手間がかかる。メンタルが不調の人間にそういう手の込んだ家事は不可能なので、次第に使わなくなり、なんかもったいないなと思うという話であった。じゃあ安い化繊の既製品でいい。ありがとう無印。
無印のひざ掛けを今年買ったのだが、二千円以下で暖かくて手触りも良くて気に入っている。現代文明最高だな。
以前好きだった、コーヒーをハンドドリップするのもできなくなった。去年すこし復活した時期もあったが、夏の暑さに負けてまた止めてしまった。今ではほとんど1杯分をドリップできるパックのやつを飲んでいる。今の自分にはこのくらいが限度なのである。
もちろん料理もできない。料理は家事のなかで一番工程が多くて大変だし、そもそも一人暮らしなので料理がよほど好きで無い限りやるメリットもあまりない。とくにメンタルの調子が良くない時期には。そうして数年経ってしまった。人生の真ん中あたりをかなりムダに消費している気がしているが、他にどうしようもないのである。
ほとんどの時間を一人で過ごしている。他人といると疲れるし、あまりメリットはないと思っていたのだが、最近ちょっと落ち込むことがあった。そしていいタイミングで友人宅に行く機会があってお邪魔したときに思った。
「人間は一人でいるとアイデンティティを見失いがちなんだな」
と。
自分では当たり前のことだと思っていても、他人からしたらそうではないとか。そんなの小学生でも知っているはずなのに、長く一人でいると忘れがちなのだ。だって比較できないから。で、この「他人と比較する」という行為はまぁときには自己肯定感を低下させたり嫉妬の感情を抱いたり、ネガティブなこともあるかもしれないが、アイデンティティの維持という点では必要なんだなと思ったのである。
とはいえ人を誘ったりするのはかなり精神力を使うので、結局一人でいいや、AI相手に話せばいいやとなりがちなのである。何事もほどほどにできればいいのだけどね。