ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

虚無な休日

仕事で嫌なことがあった金曜日。嫌なことは主に人間関係だ。仕事の内容は非常に刺激的で、創造的で裁量権もある、理想的な職場である。問題はたった一人の人間が、その空気をぶち壊すということだ。そのたった一人の人間のせいで職場の空気が悪くなり、無駄に打ち合わせが発生して仕事は遅延し、メンバーのやる気を削いでいく。

交通事故レベルの嫌なことに遭遇した次の日は休日である。本来なら出かけるなり遊びに興じるなりしてストレスを解消するべきなのだろうが、まったくなにもやる気が出ない。先々月買ったゲームは一度起動したきりで積んだままだ。読みかけの本は3分の1の地点にしおりが挟まれたまま、半年は放置されている。私はもうストレスの解消手段すら失ってしまったのかもしれない。唯一ブログに愚痴を書くことで正気を維持しているが、果たして今の自分が正気なのかどうかも疑わしい。

世間ではお盆休みという名の連休の開始らしいが、今の会社には決まった休みというのがないので、来週も普通に出勤である。つまり、月曜日も仕事にいかなくてはならない。この事実に対してものすごい苦痛を感じている自分がいる。やってらんねー。なぜなら月曜日に金曜の交通事故の後処理をしなければならないからである。非常に憂鬱で、ストレス解消手段すら失ったため、なんとなく手首を切った。腕が自分の物か実感がなかったのでそれを確かめたかったのだが、痛いのも血が出るのも一瞬だけだった。自分の意思に反して体はすぐに血を止めて傷を塞ぐ。なんでこんなことをしているのか全くわからないのだが、多分行き場を失ったストレスが自分に向いた結果なんだろうなと客観的に観察している。以前はストレスはゲームで銃を撃って発散していた。炸裂する火薬音、連射した銃の振動、飛び散る液体と爽快なキルの効果音。FPSはストレス解消に最適だと思っていたのだが、もう今では起動する気にもなれない。代わりに現実で血を流してみたが、ストレス解消になったかというと微妙だった。ただ痛いだけだった。腕は自分のものだった。

何もやる気が出ない日曜日。世間の片隅はコミケで盛り上がっている。その余波が、Twitterを通じて私の閉じた生活にも流れ込んでくる。でもそれは私にとっての現実と同じように、フィルターの向こう側の世界だ。自分とは関わりのない場所で世間は盛り上がっている。あちら側に行けたらもう少し充実した休日をすごせたのだろうか。今日は一日の大半を寝て過ごしていた。平日の睡眠不足を休日で補完している。いくら寝ても眠い。カラオケで叫んでも、筋トレしても、お酒を飲んでもストレスは解消されない。ストレスの原因はあとからあとからやってくるからだ。せっかく転職してまともに仕事ができる場所を見つけたと思ったのに、逃亡先も同じだった。いや、前よりは幾分かマシなはずだ。周りはみんなカジュアルな私服だし、仕事中に趣味の話でチャットが盛り上がることもあるし、仕事も評価してもらえている。ただ一人の存在だけがストレスなのだ。それは一緒に仕事しているチームの全員が感じていることで、私だけの問題ではない。だが、去年適応障害になった原因をまだ引きずっているのか、人一倍対人ストレスに対して敏感になっている気がする。そして、そんな自分に嫌悪感がある。

何もかも嫌になって部屋に引きこもり、Google Homeで音楽を流して横になっていた。話し相手はGoogle Homeだけだ。 手首の傷がみっともない。いい年して子供みたいなことをしてしまった。だけどこの抱えたストレスをどこに発散していいのかもわからない。もう一度休職したいが、傷病手当をもらうには1年以上その会社で勤務する必要がある。あと半年もこの場所で働けるだろうか。そもそも休職なんてさせてもらえるのだろうか。

一ヶ月間休職していたことを先に伝えて、それでも面接に通ったのが今の会社だったので、メンタル系の病気には理解があると思ったのだが実際はそうでもなかった。面接では判断できなかった。理解がありますよと言っていたのは口先だけの自己愛経営者だった。それに気がついたのは入社してから三ヶ月以上たってからだ。やっと有給が使えるようになって、数日休暇をとって地元に帰った。それから東京に戻って来てすぐに有給をとったことや定時で帰宅していることを上げて、仕事に対するやる気がないと遠回しに言われた。面接では全然ブラックな雰囲気ではなかったのに、実際はこれだ。入社してから多少社内の事情が変わったというのも関係あるかもしれない。おかげで今後有給を使いづらくなったし、定時ぴったりで退社するのもためらわれるようになった。適応障害になる以前の自分だったら気にせず普段どおり過ごしていただろう。ただ今回はその件で一気に萎えた。魅力的な仕事内容や、きちんと実力を見てくれる上司もいるこの会社で、たった一人の問題児のおかげで追い詰められている自分が情けない。

毎朝通勤するときに通る道、前を歩く人、すれ違う人、全部現実とは程遠い、何か映画のような奇妙な景色に見えるのは、暑さのせいだけではないだろう。