ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

SIerからWebへ。適応障害で休職して転職するまでの経緯

忘れないうちにメモ。

弱小SIerで仕事をしていて適応障害になり、Web系企業に転職するまでの話です。

前職は特に残業が多いわけでも、仕事が無理な量でもなかった。それでも適応障害というのは発症するんだということがわかったので書いておきます。誰かの参考にでもなれば。

大まかな経歴

自分は就職氷河期に就活してたので、最初に内定をもらえたSES企業に、特にこだわりもなく就職した。 最初は社内で受託案件に関わっていて、そのころにプログラミングが楽しいと思えるようになってきて、もっと仕事でプログラミングをしたいと思っていた。 その後数年間はいろんな会社に派遣で行って、世の中を勉強した。色んな人がいて、いろんなクソコードがあって、素晴らしいコードもあることを覚えた。そこそこコードは書けたし楽しかったので仕事はできる人という評価を得ていた。

適応障害を発症するまで

それまで数ヶ月や数年単位でいろんな会社を見てきたが、4月から派遣先になった現場が最悪だった。何もかも合わなかった。 まず、大手銀行系というだけでSES経験のある人なら「ああ…」と思うかもしれない。自分はそれまで小規模SIerで仕事をしていたので、ひとつの部屋に百人以上もいる環境に慣れていなかった。
PCはSSDもないポンコツWindows7。仕事の8割はExcelを操作することで、プログラミングできるのはほんの一瞬だけ。しかも誰でもできるような簡単な作業だ。仕様書通りにコードを書けばいい。やりがいもクソもない。しかしプロジェクトファイルは巨大過ぎてどこに何があるか分からない。コードもスパゲッティで、同じようなコードがコピペであちこちに貼り付けてある。実行するのに何時間もかかるバッチがいくつもあり、作業効率も最悪。

仕事内容だけでなく、周りの環境もひどかった。ひどいというか、自分に合わなかった。
まず、直属の上司が合わない。上司と言っても派遣先と自社の仲介会社の社員なので、会社は違う。
その人は自分が現場でいちばん仕事ができると思いこんでいて(経験年数が長いのでそれなりに仕事ができるのは確かだった)、何かにつけて部下ポジションである私に文句をつけてくる。脳内にある独自のルールを押し付けてくる。直接業務に関係無いことでも文句を言われる。文句を言われるからその上司を満足させるために上司の言うとおりに仕事をする。業務に直接的な影響がなく、上司を満足させるためだけに対応をするのは非効率でしかなかったので、効率化を目指したい怠惰なプログラマである自分にとってはかなりのストレスだった。
同じ会社から同じプロジェクトに参加していた同僚が一人いたけど、その人は自分ほど文句は言われていなかった。同僚は私が上司に文句を言われていても見て見ぬふり(隣の席なのに)をしていた。同僚といっても、私と同じくらいの年だが入社一年目で、お世辞にも仕事ができるとはいえない人だった。PCやITニュースにも全く興味のない、なぜIT企業に入ってきたのか謎な人だった。その時点で、この上司と同僚とは一緒に仕事をしたくないと思っていた。これが、その環境で仕事を始めてから2週間目くらいの出来事である。

そこでの契約は半年間だったので、半年くらいなら平気だろうと思って我慢して仕事をしていた。これが良くなかったと思う。日に日に体調は悪化していった。まず食欲がなくなり、体重が減少した。出勤時や仕事中に腹痛と吐き気がすることが増えてきた。 それから不眠症。もともと不眠体質であったのが悪化して、布団に入ってから何時間も寝れない日が続いた。毎日夜中の3時4時まで寝れない。朝起きると吐き気と腹痛、頭痛。そんな中でも会社には行っていた。直属の上司は控えめに言ってもクソだったが、その上のプロジェクトリーダーはまともな人で、その人に途中でプロジェクトを抜けることで迷惑をかけたくなかったと思っていたのもあるし、自分が無能と思われるのも我慢ならなかったからである。

休職までの流れ

不眠や食欲不振くらいなら元から多少はあったので、それでも仕事は続けていたけど、そのうち出勤時に倦怠感がひどくて歩くことすらしんどくなるようになってきた。プロジェクトリーダーに迷惑をかけたくないというだけで機械的に出勤していた。
直属上司への不満は自社の上司や営業に伝えていた。しかし自社の営業は相手が上位のSIerであるから苦情は言えない、といってそのまま仕事を続けるように言ってきた。「どうせ半年だけなんだから我慢しろ」と。

その後、週5日の勤務が辛くなってきて週に一日は休むようになった。でも意地で自分の仕事だけは終わらせたかった。直属の上司にはコードの書き方が気に入らないとかで文句を言われたが、この頃から頭もぼーっとしていてそれに対応するのもできなくなっていたので「できません、すみません」と言ってその場をしのいでいた。コード自体は問題なく動作していたし、プロジェクトリーダーにOKをもらっていた。にもかかわらず、直属の上司には細かい不備を指摘された(不備というよりは「俺のスタンスと合わないから書き直せ」的な感じだった)。悪いと思ってないことで謝るのも気に入らなかったが、そうでもしないと更に嫌味を言ってくるような人だったのでそれで凌いだ。そうして更にストレスは溜まっていった。

これが6月の半ばくらいの出来事。
この頃に、腹痛や吐き気で一日8時間の勤務も辛くなってちょくちょく席を外すようになり、業務に支障がでてきたので諦めて心療内科を受診した。カウンセリングは希望しなかったので投薬だけだった。中程度の抑うつ状態と診断され、精神安定剤と胃薬、あと睡眠薬を出された。

一時的に不眠は解消したが、原因が職場にあるので根本的な解決にはならず、ダラダラと通院しながら仕事を続けていた。7月後半に入って開発が一段落し、スケジュールにも余裕が出てきた頃に休職を申し出た。業務に影響がない範囲まで仕事を続けていたのは単に自分の意地である。

自社は休職に対してわりと理解があったので、病院で診断書を出してもらい、一ヶ月休む事になった。医者には最初から、職場が原因で体調が悪いと伝えていたので適応障害の診断書をもらった。
自社の営業(自分をその現場に出した張本人)は渋っていたが、自社上司はわりと理解がある人だったので上司経由で営業を説得してもらい、休職を勝ち取った。診断書をもらってから休職するまではかなりあっさりだったので驚いた。
それでも営業は「心療内科の診断書なんか提出しても評価が下がるだけだからやめたほうがいい」とか言ってきた。この時点で年内の退職は決意していたので特に気にしなかった。

休職してから

退職することは決めていたものの、毎日の体調不良で転職活動もままならなかった。それに休職中のまま転職活動をすることにも不安があった。面接で休職中であることを言うのは不利になると思ったし、休職したまま転職しても仕事ができる自信がなかった。そこで、一旦復職してから転職活動をすることにした。前の現場が合わなかっただけで、現場が変われば大丈夫だと思っていたのもある。

休職中は、たまに上司と面談しながら復職の計画を立てていた。でも、退職したいということはこの時点では伝えていなかった。

復職してから

休職してから一ヶ月後、心療内科の医者にはもう一ヶ月休んだほうがいいと言われていたが、休み続けることは精神的と経済的にしんどかったので、無理やり頼み込んで復職可能の診断書を出してもらって強引に復職した。この時点で相変わらず体調は悪かった。暑かったのもあったかもしれないが食欲がまったくなくて、一日一食とか、プロテインを飲んで無理やり栄養を摂取していた。不眠症と頭痛も酷かったし、倦怠感は常にあった。

復職してすぐに転職エージェントに面談に行き、複数の会社に応募した。エージェントには一ヶ月休職していたこと、今は復職して仕事中であることを伝えておいた。そのためか書類で落とされることもあったが、寛容な4社ほどは面接まで進んだ。 

復職してすぐに、3ヶ月契約で新たな現場に派遣されることが決まった。
相変わらず体調が悪いまま新しい現場に行ったが、ここも合わなかった。そもそも大手企業が合わないのだとわかった。仕事内容は相変わらずクソだった。「SIer あるある」で検索すれば出てくるようなものばかりなので詳細は書かない。

転職活動自体は一ヶ月ほどで内定をもらって終了した。面接での感触がよく、最初に内定を出してくれた会社に決めた。こればかりは運がよかったと言うしか無い。面接時に一時休職していたことは伝えたが、面接官は全く気にしていなかったようだった。 短期的ストレスには強いので、面接の30分程度なら愛想よく対応することは可能だった。そのためか面接官は休職したことに対して悪い印象はなかったようだ。

体調が悪い中、仕事しながらよく面接に行けたな、と今になって思う。当時はとにかく早く転職したくて必死だった。

内定をもらってから

このころ抗うつ剤を処方された。今まで飲んでいた薬が効かないという理由で。

内定が出てから自社の上司に退職の意思を伝えた。
上司は渋々といった感じで引き止めてきたが、すでに内定をもらっていることを伝えたらあっさりと諦めてくれた。

しかし契約の都合上すぐに退職はできなかったので、しばらくはつまらない仕事を続けていた。早く退職したくて仕方がなかった。相変わらず8割はExcelを操作する仕事で、おまけにスケジュールがギリギリなので残業もそこそこ発生した。
仕事はつまらない、その割にやることは多い、同僚は相変わらずPCに興味のない体育会系な人たちで雑談もしんどかった。

抗うつ剤はなかなか効果が現れず、仕事中の吐き気も相変わらずでしんどかった。おまけに微妙に仕事が忙しくて休むのも難しくなっていた。この3ヶ月間が一番しんどかったかもしれない。
仕事に行くのが辛いので、転職後もちゃんと仕事ができるのか不安で仕方なかった。仕事に行くだけで疲労していたので、帰宅してから何もする気がおきずにずっと寝ていた。

そうしているうちに、一緒に仕事をしていた同僚が「ストレスで辛くて仕事についていけない」という理由で現場を離れて自社に戻っていった。直前に自分が休職して会社側も神経質になっていたのか、対応は早かった。周囲の人はその同僚がうつ病になったのだと解釈していたので、本当は自分もしんどいのだと言いづらくなった。
その後詳しく話をきいたら、同僚は心療内科には行ったもののこれといった症状もなく、診断書も貰わなかったようだ。単にその現場での仕事が嫌だっただけらしい。
あとからその同僚が「自己啓発本を読んだら不安感がなくなって仕事できるようになったのでおすすめですよ」とか言ってきたのでキレそうになったのは秘密。

現在

今年に入ってからようやく抗うつ剤の効果が出てきたのか、または転職したから良くなったのかはわからないが、前よりもずっと体調がいい。 食欲がないのや不眠は相変わらずだが、吐き気もひどい頭痛も収まったし、倦怠感もなくなったのでいい感じに仕事ができている。

自分はどちらかというとメンタルが強いと思っている。仕事もそれなりにできる方だった。
SIerがかならずしも悪いわけではなく、去年の春までは普通に仕事ができていた。それでも周りの環境によっては適応障害になることもあるので、なんていうか、ほんとにツイてなかったんだと思う。

未だに心療内科には通院中で、抗うつ剤睡眠薬は飲んでいるので完治しているとは言い難い。当初はここまで長引くとは思っていなかったし、休職するとも思っていなかった。

今では自分にとって心地よく仕事ができる会社に運良く入れたのでなんとかなっている。主治医にも顔色がよくなったと言われた。
人によっては転職が難しかったり、転職先でもうまくいかないという話を聞くことがあるので、このへんはほんとに運なんだろうとしか言えない。

適応障害で転職しようとしている人の活動がうまい具合に行くことを願って書きました。

[追記] 転職後↓ nil-fell.hatenablog.com

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