ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

「読書体験」は言うほど重要か?

紙の本or電子書籍という対立構造は世間で頻繁に議論されているし、何ならすでに「紙の本のほうが記憶に残りやすい」という研究結果もある。ということで物理本のほうが優れているというのは世間一般的な認識である。

……であるのだが、私としては場所を取らない電子書籍のほうがいい。
そもそも物理本を推している人の言い分の一部である、「ページをめくる感触が必要」とか「読んだページの厚みを実感できる」などに全く共感できないからである。

これは私のスキゾイド気質の一部が原因なのかもしれないが、「体感」をあまり重要だと思っていない。本を読んだ後にページの感触なんて覚えていないし、本の重みなんてのも記憶にない。やはり本の本質(なんか変な言葉w)は内容なのである。どこで読んだとか、何をきっかけで読んだとか、誰が書いたとか、その類の情報は本の内容とは全く関係ないし、読み終わった後に記憶に残るものでもないのだ。読書の後に残るのは物語のイメージだけであり、読書中に自分の本体がどういう状況にあったか、などというのはその本の感想に全く影響しない。少なくとも自分にとっては。

ということで、本の媒体が紙だろうがPDFだろうが何でもいい。

話は変わるが、私は昔から旅行が好きではない。山育ちなので子供の頃の家族旅行は海に行くことが多かった。しかし、夏休みに家族で海に出かけてもホテルで寝ていた記憶しかない。親や兄弟は旅行好きなので遊んでいたのだが、その間私はホテルの部屋に引きこもっていた。何をしていたかというと、多分本を読んでいた。しかし、そのときに何の本を読んでいたのかは全く覚えていない。

何が言いたいかというと、読書の場所が特別だからといって特別記憶に残るような読書体験はできないということである。特別な記憶に残るのは、特別に面白い内容の本だからであって、「体験」は全く重要でない。

だから家で読もうが旅行先で読もうが、何ら読書の結果には影響しないのである。少なくとも自分はそうだし、これからもそうであると思っている。

こんなことを書いたのは、数ヶ月前に友人に貸した「バーナード嬢曰く。」の4巻が返ってきたので読み返していたからである。4巻では「読書の場所」「読書BGM」について書かれているのだが、そう言えば自分は読書の場所や環境を全く考慮していなかった、と認識したからである。

世間の数少ない読書家の皆様は読書体験を重要視するタイプだろうか?はたまた私と同じく、内容以外気にならないタイプだろうか。