ペン一本と、メモ帳

好きなものを好きなだけ

東日本大震災と就職活動

私にとっての転機とは、就職したことそのものである。

就職氷河期、そして東日本大震災
この2つが重なったから、というのはレールに沿った人生を送ることができなかった言い訳としてはあまりにも無責任かもしれない。クラスメイトの半分は震災時すでに就職先が決まっていたのだ。就職できなかったのは単に自分の実力と運の無さのせいでしかない。それでも何かのせいにしないと精神が不安定になるくらい、当時は就職できないことに対していらだっていたし、家族への申し訳無さと自分への不甲斐なさに苛まれていた。

3.11の話題を目にするたびに思い出すのは、就職活動が終わらずにイライラしていた自分自身のことだ。

震災当時、私は仙台市内のカフェで履歴書を書き終え、コーヒーを飲んでいた。3.11のとき仙台に住んでいたということを、関東に来てから知り合った人に話したくはない。かなりの確率で被災体験を聞かれるからだ。被災体験は同時に、卒業時に就職できていなかった自分自身について語ることになる。

情報系の学校を卒業した私はプログラマになるものと決め込んでいた。しかし、震災直後の仙台にIT系の仕事はほとんどなかった。当然ながら建築関係の求人ばかりなのである。そんなわけで、就職と同時に東京へ出てくるのは必然だったと言っても過言ではない。

ハローワークから紹介された明らかなブラック企業に就職した私は、その会社で6年ほど働くことになる。就職直後は給料も少なく、生活費と奨学金の返済をしたらお金はほとんど残らなかった。

その会社での仕事については以下で詳細に書いてある。

nil-fell.hatenablog.com

上記エントリーで盛大に批判してはいるが、その会社に就職したことは私の人生において転機の一つであったことは間違いない。東北の田舎から東京に出てきて、一応でも自立した生活をおくることができるようになったのだから。

もしあのとき震災が起こらなかったらまだ地元にいたかもしれない。仙台で就職していたら東北から出ることもなかったかもしれない。
そう考えると、今こうして東京に住んでいるということは自分にとって大きな転機だったと思う。都会には、田舎にいた時には考えられないほどの選択肢が転がっている。

未だに私は、仙台で一緒に過ごし、その後東京に出てきた友人たちと会うときに劣等感を感じている。彼らから半年遅れて社会人になったことを今でも恥ずかしく思っているし、仕事の内容でも収入面でも彼らには及ばない。しかし今年に入って転職し、新たな転機を迎えてからは少しだけ自信がわいてきた。まだ彼らに追いつくことはできないが、自分の望んだ仕事ができるようになったという点は自信につながっていると思う。

さて、こうして望んだ仕事に就くことができたわけだが、次はどうしようかと考えあぐねている。東京には、田舎にいた時には考えられないほどの選択肢と、人の数と物量がある。まだ自分の可能性を試していない場所がある事に気がついてからは、少しずつではあるが準備を進めている。
自分の中では「早く行動したほうがいい」という意見と「まだその時ではない」という意見がせめぎ合っている。直近の目標は、アウトプットを増やして人の目に触れる機会を得ることである。

その一環として、今回たまたま目に入ったこのお題に挑戦してみようと思った次第でした。

#わたしの転機

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